東京0809
8月9日。良い建築をみたかった。
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関西から3時間かけて東京に来た。
駅についてすぐに東京風の広告に取り囲まれる。相変わらず視界に入る情報量が多い。
新幹線から山手線で渋谷に到着。
渋谷ヒカリエの隣にビジネスマンテイストの高層ビルができていた。
ビル面にスリット状の装飾がちょこちょこと並べられており、まるで電子音楽の楽譜のようだ。
この細切れの縦棒は、雑誌のテキストなどでは「和を表現している」などと説明されているのだろうか……と軽く眺める。
代々木方面に移動。
ドコモ製クライスラービルがちらちらと見える。
北参道駅の上のコープ共済プラザ。ファサードにおいて日建のエコファサード技術が盛り込まれている。端正でエッジの立ったコンクリート躯体に繊細なメタルのカーテンを纏っており、良い佇まいのオフィスビルだ。
都市環境を考慮した緑のオフィスは、緑との接面において繊細なしつらえをどのように作るかが課題だと思う。この建築のしつらえは、美しい。
GA Galleryに移動。
展示されていたのは、石上純也の浴場プロジェクトなど。
Zhu Peiの美術館は、ヴォールトという強い形で歴史都市に対峙する戦略をとる。内部空間は煉瓦と煉瓦の間から差し込む光で重厚な空間に厳格さを保持している。
CHRIST & GANTENBEIN のGrenzachに建つオフィスの計画。ある種のタイポロジーを持っており、とてもよい。
WOLFGANG TSCHAPELLERのWien Museum。不安定な幾何学に準じた中規模タワー。全く無関係だが、水戸美術館を想起してしまった。
ヘザウィックの新作は、「心臓」の作品と同様、膨らんだガラスウィンドウを持ったフレームビルディング。
違うのは、それがハイラインの下に滑り込んでいること。イレギュラーをデフォルトとするヘザウィックらしい提案。
モーフォシスは新たな形相表現として崖面のような建築を提案。
こういう展示は久しぶりに見た。
久しぶりに建築系の本屋に来たので楽しくなってしまい、まだ1日目なのに分厚い本を買ってしまう。
気になる本はまだあったが、さすがに荷物が多くなりすぎるので、気になる雑誌は帰宅後Amazonから取り寄せることにする。
銀座へ。
ソニーパーク銀座に立ち寄る。
ちょうど2周年のタイミングで、夜のイベントの準備をしていた。
ソニー銀座の歴史を継承した都心のアングラ空間とでも言えそうな、ざらつきの残る躯体、共用空間の垂直連続性、そしてスケール感。
大阪のグランプラント前の広場を頭に思い浮かべ、寧ろあそこは人が集まるが何も起こらない空間だと思えた。こちらのスペースは、"洗練"された都市の隙間であり、ある種の非ローカルな価値観を呼び寄せる。これだけリソースが集積した銀座に余剰のスペースが設けられていれば、常に何かが起きざるを得ないのだろう。
いつまで存在するのかは知らないが、こういう垂直的な広場があってもいいなと思った。
UNIQLO TOKYOで買い物。
内部空間が剥き出しの構造体、特にハンチ梁で満たされている。その各所に鏡面が貼られており、人間の歩く姿やエスカレーターで移動する姿がそこらかしこに反射してうごめいている。ショッピングする人間のカラフルな装いが、カラフルな商品と混じり合う。
柱は鏡面による遮蔽によって、途切れ途切れに浮いたりしている。
電気設備は鏡の中に納めてるのだろうか?
仕上げは、どのコンクリート部分も素晴らしい。荒々しく自然であり、建物の履歴が薄らと透けて見えるようになっている。
(ざっと見て回ったが、話題のガラス洗い出し仕上げのコンクリートがどこなのかは、見つけられなかった)
(プロジェクトの都合上だろうか)ファサードは元建築からほとんど弄られておらず、華やかな銀座ファサードの中では控えめの表現だ。
評判通り。ユニクロの広告塔に相応しい。
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8月10日。朝、浅草を歩く。
ふと脇を通過した浅草の公園。
公園空間を作った上で、後付けでその中に遊具に囲いが設けられている。治安上の処置なのだろう。子供の道路飛び出しを抑えているのかもしれない。直ぐ近くに浅草寺というオープンスペースがあるのだから、この公園に公園としての役割は期待されてないのかもしれない。
ただ、この公園にはデザインが介入できるように思われる。
要件として
・周囲から見られる(隠されていない)透明性
・限定された入り口からのみ侵入できる
・子供にとっても危険ではない
がある。ペットを囲うような排他的なフェンスを巡らせるのではなく、他のやり方はあるように思えるが……
歩く。
浅草寺の直ぐ隣には、ルーバーファサードの消防署が。難波和彦の設計のようだ。
浅草寺は、広々として朝の空気に馴染み、心地良かった。
ところで今日は、北関東へ行きたいのだ。
そのまま東武伊勢崎線へ。
旧館林市庁舎を見に行く。
各所にモダニズムの文法に則った処理が施されており、近くで見ると面白い。メタボリズム建築は往々にして、竣工は都城市民会館より古く、同年代のメタボリズム建築は設備等老朽化の能力の着々と姿を消している。残っているものについては、この市民センターのように、使われている状態で残っているうちに見に行ければと思う。
垂直性を軸としつつ、力強くボリュームを支えており、張り出した部分が建築の水平展開を表現する。建物の外壁は凹凸が多く、表情は陰影に富む。手前側はエントランスの低層部であり、主要部との接続部分は、緩やかなスロープでつながっている。プロムナード的なエントランスは、わかりやすく「良い」感じだ。
周辺は低層住宅地であり、道路が長く、一つ一つの家が割と大きい。人通りは日曜でも少ない。
途中の道で、面白い増築の仕方をした住宅を見つけた。構成が妙である。
駅に戻る。
そのまま太田市へ。
太田市美術館図書館。
思うに、図書館というプログラムは蔵書を組織化された配列で陳列する必要がある訳だが、その線形的な分類法ゆえに「螺旋形状」のプランニングと相性がいい。
ドミノプランは、リスト構造の一連の書籍を階層ごとに切断せざるを得ない。ゆえに、ドミノの層をまたぐ本の流動に関しては不得手である。
図書は、その分類法に基づく1次的な分類(大分類、中分類、小分類の木を直列化したもの)のもとで、2次的に、作者やタイトルによる分類(辞書的分類)が行われる。螺旋は、そのリスト構造を物理空間上に実現できる。
この図書館では、膨張する情報を格納し続けるために、螺旋回廊に沿って連なっていく本棚の調整機能を活用しながら個々の場に応じて解いているように感じられる。例えば、テラスが段々に重なる駅方向と、回廊性がより強まる駐車場方向とでは、図書の格納方法も変わってくる。
新型コロナウィルス対策でリファレンスなどは制限が掛けられていた。
内部空間は非常に豊かなものだったが、写真はSNS流出禁止なので見送り。人の溜まり場になるようなカマボコ状のスペースが外部方向に向けて多く作られているのだが、円盤片の重なりのズレによってスラブが庇となったり、吹き抜けスペースとなったり、テラスとなったりしている。建築的操作によって人の居場所が多様に生み出されている。
緩急のついた傾斜天井のおかげで、空間の天井高も様々に変化している。
鉄骨がRCフレームの箱から突き出て、螺旋状のデッキプレートを支持しているようだ。ステップフロアはバリアフリーとの相性が悪いわけだが、この建築は中央部分はフラットであり、吹き抜けによって3階層が可視化されている。
迷宮的な空間ではなく、「巡る動線」と「行き来する動線」が同時に用意されている点で機能的な空間だ。ガラスの外には駅や様々な都市の要素が直接見えるため、巡る動線は常に外界に接しており、そこにいる人が定位できるようになっている。テラスも同様だ。
建物の中に中心があるというのは、このような建築物において(盲点となりがちだが)重要なことだと感じる。
ついでに、駅から2、3キロ離れた場所にある太田市民会館にも寄る(往路は歩いて行ったのだが、遠すぎて後悔することになった)。
周辺は中学高校があり、いくつかの施設といくつかの店があり、田んぼが広がっている。
遠くから見た、コンクリートの塊。郊外の工場か何かに見える。
びっくりするほど大きい。
近くに寄ると、これまた大きい。
アルマイト処理の模様が見えるアルミパネルの外装から、コンクリート打放しが顔を覗かせる。当然のように杉板型枠が使用してあり、そのスケールに圧倒される。
駐車場側からのエントランスも、その庇によって特徴づけられている。エストニア国立博物館には劣るが、こちらも十分に力動的な印象がある。
内部空間は市民会館として明快。風除室を過ぎて巨大なロビーがあり、奥に劇場がある。
平面操作として、L字型のロビーに二種類の小シアターが嵌め込まれてるようになっている。インフォメーションの反対側にはラウンジスペースがあり、二層分の天井高と薄暗さによって、開放的で落ち着きのある空間になっている。斜め要素はエントランス周りの切り立った部分以外は、ロビー空間にはまるで存在しないが、主劇場のコンクリート駆体が不整形な形を顕した状態でロビーの奥に控えているため、「あそこが劇場(核となる場所)なのだな」と来訪者にはすぐ分かる。
はじめはその巨大さゆえに驚いたが、プログラムに準じた建築的操作がいくつか見られた。
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8月11日。今日も、良い建築をみたかった。
武蔵野プレイス。
メインライブラリーは地下一階にある。建物の四つの吹き抜けがグランドフロアと地下一階を繋ぐ(ただし、見る見られる的な繋がりではない。地下一階がまるで地上階であるかのように明るく、外部の緑や光を感じさせるようになっている)。
空間は柔らかい。柱は(B2以外において)四角のまま現れているものがほぼなく、星芒形に近い十字形やT字形、H字形で作られている。
柱が接地する部分の壁面や、梁の部分が垂れ壁面を作り、全体的にフィレットされることによって、かまくらのような白い空間を作る。
この柱は場所によっては書架の背として使われたり、掲示物の背に使われたり、カウンターやデスクやその他の什器の背に使われたりもする。垂れ壁は、シングルになっている場所とダブルになっている場所があり、ダブルの部分は鏡面を利用して柱(あるいはPS?)を隠している。
「柱が壁として現れてくる」というのは面白い。建築操作によって、空間の性質が変えられている。
かまくら空間の天井高さは3000以上ある。2スパンに跨ったかまくら空間が部分的に存在する。吹き抜けの断面に出てくるスラブ厚は遠目で見て800〜1000程。梁型が現れてこないため、ボイドスラブだろうか? このスラブの平滑性も、空間の流動性と連続性に寄与している。
大宮前体育館へ。
こちらも武蔵野プレイス同様、写真撮影禁止。内部は、思ったよりニュートラルに作られていたといった。何か感想を挙げるとすれば、天井の仕上げが意匠的だった。
コンクリート駆体一枚隔てて、体育館とそれ以外のプログラムが区画される。円形の建物の外周には、カフェ、エントランス、サービス関係が配置されている。建物自体が地域の通り道になるようなコンセプトではなく、施設としての配置計画なので、エントランスは一箇所のみだ。
公民館の方は、地域の子供が入り口あたりに座って話していた。敷地内において、体育館と公民館は一つの公園の一部だ。しかも洗練された都市公園という趣はなく、どこにでもある公園のようにざっくばらんな外溝計画となっている。
かろうじて、外周のサービス用出入口まわりの立面が意匠的な遊び心を残していた。
座・高円寺へ。
二階カフェの吹き抜けが気持ちよい。
この表側の階段も良いが、裏側にあるエレベーター隣の階段も良かった。
この劇場は、市民の憩いの場所(サードプレイス)を目指している。私も、1人のエージェントとしてそこに立ち入るのならば、より深く建築の構成を分析できたかもしれない。その成り立ちについては、伊東豊雄を特集した「PLOT 05」に詳しい。
私がその場で感じたものは、ある種の「秘めやかさ」と「寛ぎ」である。これが劇場であるためにドキドキとする空間としての演出が多くあるのだが、その多様な人々を等しく市民として囲い入れるだけの寛容さを持つ。
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今回の建築旅の振り返りとして、
・都市の中の建築(太田、武蔵野、高円寺)
・都市の外れの建築(市民会館)
で印象・スケール・外部の見せ方が対照的だと感じた。
都市の外れの建築においては、外部は「光」あるいは「外部という概念」として内部に取り込まれる。そこには、均質でモダニズム的な外部の取り扱いが存在する。
最近の都市の中心に建てられる公共建築においては、外部は「意識させる」ものとして扱われることが多い。高円寺は完全に遮断はせず(ゆえに閉じられた印象を却って強めることとなる)、太田は一体となるように作られる。武蔵野では外部の環境が「内部に注ぎ込まれる」。
また、今回見た都市の中の建築は「配列」概念でその構成を取り扱うことが難しいものばかりだった。
そして、今回の建築は、「ダイアグラムで実現する機能」と「場所としての性格」がそれぞれ別位相で設計されているものが多かった。すなわち、建築の成り立ちは幾何的に説明してはいるが、居場所の雰囲気を実現しているのはそれとは異なる親密さのための建築操作の積み重ねによっている。この点も、大変勉強となった。
旅行は、小さな適応行動の積み重ねと言える。
今回の建築旅行においては、自由にビジネスホテルを取りながら旅行したのがストレスフリーで楽しかった。
建築を見て歩く際には、きちんと写真を撮っていいか確認してから撮るのが、東京の建築では重要なマナーだと思う。近年は肖像権の関係で内部写真撮影NGな建築物が多い。
また、歩く際には、持っていく服には気をつけようと思った。リュックとラフなシャツで歩いた結果、汗が脇に集中して目立ってしまうという不快な状況に悩まされた。真夏日に出歩くならば、白か黒のシャツが良い。
交通の連絡について。今回は鉄道ベースで旅行したが、北関東中心の旅行ならば車で自由に移動した方が良いように思えた。
次に関東に行く時は、鎌倉や群馬、埼玉の近代美術館を中心とした旅行を立てようと思う。
まだ、建築言語の概念が活き活きとしていた時代の建築、そのデザインに興味がある。
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2020/08/09 - 08/11
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