Dossiri - Kamaeru

建築・都市・生活の領域に関する知識の体系化、技術に対する考察、書籍レビュー等

どうしたら自虐しない人間になれるか

 

 

自虐は百害あって一利なし。

わかっていても、ついついやってしまうのが自虐です。

 

 

自虐は、いわば自分に保険をかけているようなもの…

自覚しているからこれ以上言わないで?と先方に先手を打つことは、実は結構相手に失礼です。

 

相手が自分の欠点を知っていたとしても、その点について相手が触れないでいてくれることもあり得るのに、そもそも相手を信用していないから卑下をする。

 

そうです。自虐は褒められた行為ではありません。

自虐は①非生産的②面白くない③関係に悪影響を与える④印象悪くなる と様々なデメリットがあります。

わたしは、自虐してしまうときはだいたい、

(自分なんて、…これ以上印象悪くなんてならないでしょ…?)

とか不貞腐れています。

こういう心理の時には、既に自分の印象とか面白さとかすごいどうでもよくなっているのですが。

それでも、割と大事にさせてもらっている人たちが自分を敬遠するようになるのは嫌です。

 

なので今日は 「どうしたら自虐しない人間になれるか」 を考えます。

 

【自虐しないための考え方・ふるまい】

①自虐の原因には個人差がある。自身にとっての自虐をしてしまう心理を理解しよう
 
②自虐は、ある対人関係の下で癖になっている可能性がある。「思わず自虐したくなる相手」には共通の特徴があることを理解しよう
 
③他のことを考える「ゆとり」を作ろう。コンプレックスはだいたいゆとりのなさから生まれる。
 
④有限時間の会話を自虐に割くのはもったいなさすぎる!!と分かって。
 
⑤「自身の欠点に危機感を持っています」と己の見解を正当化するのは悪ではない。ただそれに終始してしまっては、何のための自虐かわからない。そこからどう行動を展開するかを話すことに時間を割くためにも、自己否定は必要最低限に抑えよう。

 

 

【自虐のメカニズム】

自虐する人間に育ってしまった(あるいは長期的習慣の中で変わってしまった)ことには原因があります。もっともメジャーな理由は、外部圧力とハラスメントです。

こういったものに継続的に触れ続けると、それだけ「解決できないことに思いつめる時間」が増えて、自己防衛意識が高くなります。

 

自己防衛意識は、〈 後ろめたさ 〉や、〈 バレたくない秘密の保持 〉、〈 少数派であること 〉等と関連があります。

押し付けられた価値観に対する劣等感と抵抗心が、意識の矛先を外環境から自分の内側へとむけさせます。一度育ってしまった自己防衛意識は捨てがたく、また人によっては被害者意識やコンプレックスなどが併発し「拗らせ症候群」の域に入ってしまうこともあります。自虐のメカニズムは、人それぞれです。

 

わたしの場合は、解決しようとすれば解決できるのに解決しようとしないような問題について、特に自虐がひどくなる傾向があります。努力不足に対する後ろめたさが、自身を自虐に走らせます。これは誰でも理解できることですが、この意味での自虐はただ純粋にダサいです。私の場合まずはそこを直さないといけないのですが(自戒)。

 

 

自虐癖は過去の対人関係からの影響も受けています。

例えば、「自分が自虐を言うと笑ってくれる」人と長いこと一緒にいると、自虐が掛け合いの一種のようになり、次第に癖となっていくことがあります。

もちろん、共感性の高い人ほど、自虐ネタを「面白い」と感じることはありません。ただ、せめて笑いに変えないと、完全に独り相撲となってしまって痛々しいからネタにしているのです。

自虐で笑ってくれる友人は、極端に想像力の欠けた人か、あるいは優しい心根を持った人です。優しい友人には、心配かけないようにしたいのですが…。

また、継続的な自虐は他者への依存心を高めます。依存を伴った自虐は、相対的にみて、相手を性悪に仕立て上げる行為でもあります。相手の為にもなりません。

 

また、別の視点から見れば、自虐は一種の文化です。謙遜することと自虐は似て非なるものであることを理解しましょう。謙遜は素直であり、自虐は素直ではありません。謙遜は次の油断なき行動や備えに繋がっていきますが、自虐はその場で停滞しています。

某丸山さんの言葉を借りるまでもなく、「である」ことより「する」ことに意識を向けることは重要です。

言い換えれば、自分自身の言動の「自由」に対する感度を高めることが肝になります。

 

 

金・能力・体力・実績・恋愛・人間関係などに関する余裕の無さが、人を自虐に走らせます。

自虐しない人間になるという事は、心の持ちようで解決しようとするアプローチも重要ですが、こういった現実的な側面にも目を向けることが必要です。

 

これらは簡単には変わってはくれませんので、「全力で今に集中する」ことで変えていくしかありません。自虐している暇がないくらい忙しくするのも一つの手です。それでもどうにもならないときには、…どうにもならないので、…世知辛いと主張してみてはどうでしょうか…?

 

現実的にゆとりがないときほど、心のゆとりが重要になってきます。「誰も守ってくれない」「誰も…」という風に考え始めたら黄色信号です。

あなたが影響力を持っている領域が狭まっているとき、また、あなたができることを見失っているとき、そのことに気づかせてくれる人はあなた自身しかいません。

 

 

会話の時間は有限です。意識と思考のリソースも有限です。自虐は、他に考えることがないから考えていたりしないでしょうか?「間が持たないから」つい自虐に走ってしまうのです。

実は、自虐をやめると、本来やるべきこと、話すべき会話、そういったものが見えてきます。ひとたび思考領域をシフトしてしまえば、いかに勿体ないことをしていたか分かります。

 

 

少なくとも、自虐は手段としての善し悪しはあるにせよ、「自己発信」の側面を持ちます。自虐をダメなものと捉える本記事の趣旨とは反しますが、しっかりと自己発信できているあなたは(前提として)えらいんだ、と自分を褒めてあげるべきです。

「自身はクズだ、ダメだ」など漠然とした分析のなっていない自虐ばかりしているわたしに比べれば、あなたの自虐はよっぽど具体的で明晰である可能性が高いです。それならば、自身の課題点を理解することは、根本的な原因を考え解決するための第一歩です。これは自信を持てることです。

自身のダメな部分を分かっているのは、それだけ自己分析がしっかりしているということです。

長期間にわたる自己分析・悩みの蓄積と、その背景があってこその自虐癖です。自虐を通してあなたが訴えている心の状態は、案外長期的にあなたが発しているメッセージであり、そしてそれは、しっかり人にも伝わっています。

 

「寂しさによる自虐」「やるせなさによる自虐」「自身への腹立たしさによる自虐」「後悔による自虐」…様々な自虐があります。

しかし、どのような自虐にせよ、周りの人はきちんと気づいています。ただ、それらの多くは内面的なものですから、他人はあなたの自虐を咎めようともしなければ、親身になることもできません。

(もしかすると、その反応が理由で、あなたは満たされていないのかもしれません)

 

もしあなたが、自身を大切にしてほしいとの気持ちから自虐をしてしまうのならば、相手にはその気持ちが伝わっています。伝わっていることを何重にも説明することは、もう大丈夫です。

だから、自虐はもうやめてもいいのです。そうすれば残った時間で、「そこからどう動くか」に意識のステップを進めることができます。自己言及は、自分で思っているよりも冗長になりがちです。スマートかつ端的に自身の課題点を説明する訓練を普段からしておくことで、自虐から生じる湿っぽさがなくなり、軽やかに生きることができます。

 

 

【どうしたら直るか?】

 

” 自力本願で自虐をやめましょう。 ”

 

自虐を止めてくれる人を期待しているときほど自虐を吐きがちという無限のスパイラルが、自虐癖には含まれています。

 

巷では自虐している人を名指ししてあなたを傷つけることに喜びを見出している人もいますが、彼らは「自己愛のない人間に対して、これを大切にする必要はない」という冷淡な人間なのであって、そういったひとに構う必要はありません。取るべきは、距離です。

一方、あなたに直接言わないものの、あなたに対して、(自分を大切にしてほしいな)とひそかに思っている人たちがいます。もしあなたが自虐をやめたら、こういった人たちに気づけるようになり、お礼を返せるようになるかもしれませんね……。

 

それでは、おやすみなさい。