Dossiri - Kamaeru

建築・都市・生活の領域に関する知識の体系化、技術に対する考察、書籍レビュー等

「議論が何よりコンパクトでない。」

自由に書く

コンパクトシティとかいって、沢山の人が同じ方向を向いて頑張っている。それはいいことだ。

地球規模の問題提起に対して、ほとんどの人はリアリティをもたない。しかし、ある一つのテーマを掲げ、そういったものに対して、いろいろな人がそれぞれのリアリティをもって取り組めるのならば…その小さな動きの集積は、新しい都市の動きになるかもしれない。(もちろん、個人的な思いもあります。「流行り言葉に対して、斜に構えるのではなく真正面からぶつかったならば、そこにわたしは飲み込まれるのか、それとも突き抜けるのか?」知りたいのです)

 

コンパクトシティは、もともとは建築家が提唱した言葉だ。そしてそのうち、「いろいろなこと」がこの概念にまとわりついていくこととなった。その経緯については、ここでは省略するが…結局、日本と海外の事情の違い、「コンパクト」の取り扱いの違いに着目することは、さほど重要ではないと思う。しかしそれでもなお、海外事例は背景化してしまい、今やコンパクトシティを語ることは、国土論を語ることと同義といえるほどに、「コンパクト」はキーワードとして肥大化している。スマートコミュニティやらスマートシティやら一連の横文字と同じように。

 

 

コンパクトシティ」をざっくり説明すると、公共交通機関へ徒歩でアクセスすることを想定し、その狭域の内に市街地を集約した都市構造である。日本において当概念に関する議論が活発化したのは00年代初頭であり、海道(2001)著『コンパクトシティ』などで海外の都市概念が包括的に取り上げられた。

 

一方で、国土レベルの戦略としてコンパクトシティがみられるようになったのは2007年以降である。2007年の社会資本整備審議会「新しい時代の都市計画はいかにあるべきか(第二次答申)」の内容は『集約型都市構造の実現に向けて』としてとりまとめられたことが挙げられる。

今現在、2014年『国土のグランドデザイン2050』や改正都市再生特別措置法などに代表されるように、コンパクトシティは、〈コンパクトシティ+ネットワーク〉なまちづくりという概念に発展している。全国的に見ても、コンパクトシティの善し悪しの議論よりも、むしろどのようにコンパクトシティを実践していくかの議論に重心が傾いているようだ。

 

※今までに、国内で次世代都市のモデル都市指定を受けた自治体を整理した。

平成12年(2000年3月) 「歩いて暮らせる街づくり」関係省庁連絡会議 「歩いて暮らせる街づくり」モデルプロジェクト地区 20地区
平成20年(2008年7月) 内閣官房 地域活性化統合事務局 環境モデル都市 6都市
平成20年(2008年7月) 内閣官房 地域活性化統合事務局 環境モデル候補都市 7都市
平成23年(2011年12月) 内閣官房 地域活性化統合事務局 環境未来都市 11団体
平成24年(2012年6月) OECD Compact City Policies: A Comparative Assessment ケーススタディ都市 5都市
平成25年(2013年3月) 内閣官房 地域活性化統合事務局 環境モデル都市(追加) 7都市
平成26年(2014年3月) 内閣官房 地域活性化統合事務局 環境モデル都市(追加) 3都市
平成29年(2017年5月) コンパクトシティ形成支援チーム会議 コンパクト・プラス・ネットワークのモデル都市第1弾 10 都市
平成30年(2018年3月) 国土交通省 地方再生コンパクトシティのモデル都市 32都市
平成30年(2018年4月) OECD SDGs推進に向けた世界のモデル都市」 6都市
平成30年(2018年6月) コンパクトシティ形成支援チーム会議 コンパクト・プラス・ネットワークのモデル都市第2弾 11 都市
平成30年(2018年6月) 内閣府 地方創生推進室 自治体SDGsモデル事業 10自治
平成30年(2018年6月) 内閣府 地方創生推進室 SDGs未来都市 29都市

特にOECDに取り上げられた富山市北九州市は、よく耳にするのではないか。

他にも、先進都市として注目すべきなのは、横浜市金沢市鶴岡市水俣市など。尼崎市も頑張っている。

 

上のモデル都市評価は受けていないが、他にも以下のような自治体の動きには注目しておきたい。

青森市比較的早期にコンパクトシティ構想を自治体として打ち出していた中心市街地の活性化をコンパクト・シティと結びつけて行おうとした自治体であり、06年新中活法のもと07年に中心市街地活性化基本計画認定第1号を受けている。「中心市街地」の話をしようとしたら絶対この市の話題が出てくる。

夕張市:極度に財政事情が厳しい自治体の代表例。(都市のシュリンクという意味で)コンパクト化を進めている。これはこれで、相当なノウハウが積みあがっているために注目すべき事例。

 

こういった例に挙げられるように、コンパクトシティは少し話が入り混じっている節がある。

郊外化&モータリゼーションが進んだここ2,30年の都市において、そのつけを見ることになったのは、道路水道をメンテナンスし続けなければいけない行政主体と、衰退した中心市街地の当事者(特に商工関係)、空き家問題の当事者である地域住民、そして都市から排出されるCO₂やエネルギー消費のしわ寄せにあう「どこかのだれか」である(当然、それは私たち自身と思っていいですよね)。

だから、本来「歩きやすいまち」「持続可能なまち」の両構えでスタートしたコンパクトシティ理念なのに、「中心市街地が良くならない」という批判を浴びる。何でも解決できる万能薬のような面構えをしているコンパクトシティだが、実はそれひとつで何かを解決できる力は持っていないことを忘れているのではないか…?

中心市街地活性化の苦悩については、小林(2017)著『都市計画変革論 ―ポスト都市化時代の始まり―』などにも書いてある。特に、ポリシーミックスの重要性について。

(ある問題を抱え、さらにそのことについて解決のニーズがあることが分かっている都市において、そちらを後回しにしてコンパクトシティ化にお金やエネルギーを費やしているのならば、その地域は悲しい結末をたどってもまあ仕方ないでしょう。)

 

先進的な=コンパクトな、ではないし、エコな=コンパクトな、でもない。

創造的な=コンパクトな、でもない。

コンパクトシティ志向は都市再編の考え方であり、ある課題に対してその改善効果はあれども、解決する保証はない。実際、その解離性を指摘し、ギャップを埋める方法を考えるのも都市計画屋の仕事だ。

 

特に、都市のウォーカビリティの向上と市街地コンパクト化を混同すると痛い目に合う。大きい人の動きをつくるコンパクトシティ指向は、歩行環境を、圏域で考えるのは得意だ。しかし、実際に「歩きやすい街」をつくるための思考は苦手だ。

 

以上のようなことを踏まえて、論考のフレームワークを作る必要がある。キーとなるのは、問題解決型思考を脱却し、トレードオフパラドックス、ある種の対立関係、そのなかでの意思決定に着目すること。コンパクトシティ指向は、かならず内側にそういったものを含んでいるはずなのだ。これは、コンパクトシティの分析を必要とするが、分析には注意を要さないといけない。完全に部分に分解してしまうとそういったトレードオフが見えなくなるばかりかコンパクトシティの枠組みの意義さえ見失ってしまう。

横断的概念としてのコンパクトシティは、私たちの都市学的アプローチにある種の座標を描き出す。任意のアプローチがコンパクトシティを通して相対化されてしまうのならば、ある意味それは私たちを自由にしてくれるかもしれない。